2016年03月12日
イベント企画のお知らせ
こんにちは、健康の里です。
麗らかな季節となりましたが一雨ごとに春めいてまいりました。
2月の末にびわ温熱療法の体験会に参加をしていただきありがとうございました。
多くの方に喜んで頂きました。そこで今月末に第二回目の体験会を行っていきたいと思います。
アレルギーや冷え、偏頭痛など季節が変わるこの時期に体調を崩していませんか?
新年度を前に体調を整えましょう。

麗らかな季節となりましたが一雨ごとに春めいてまいりました。
2月の末にびわ温熱療法の体験会に参加をしていただきありがとうございました。
多くの方に喜んで頂きました。そこで今月末に第二回目の体験会を行っていきたいと思います。
アレルギーや冷え、偏頭痛など季節が変わるこの時期に体調を崩していませんか?
新年度を前に体調を整えましょう。

日時:2016/03/25 (金)10時~16時まで
料金:30分 2,500円 60分 4,500円
場所:大分市木上 431-7 美容室ニコサクヤ
(大分市立わさだ小学校そば)
ニコサクヤ:097-585-5800 (要予約)
Posted by びわまる at
22:33
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2016年02月20日
35年続けた看護師をやめた理由
みなさんこんちには。健康の里、院長安藤です。
明日は勉強会です。毎週土曜日は勉強のために生徒さんが朝9時に来られます。まず皆で店舗の掃除をし、そして9時半からミーティング。(今日は何の勉強をしようか?)
円卓にコーヒーを並べて、生徒さん個々の復習と技術の確認、そして今日のスケジュールを立てます。
10時から勉強会が始まります。
いつも本部(福岡県杷木)の勉強会を思い出します。
6年前の事です。
本部で会長先生にお会いしたときのことを今も覚えています。
私にびわ灸を教えてくれたのは元の主人で「とにかく話を聞いてほしい」と、半ば無理やり連れて行かれたようなものでよく仕事を変える主人だったので「今度は何?」という半分不愉快な気分での出会いでした。
まさかその出会いによって私の人生が大きく変わっていくとは思いもつかない日でした。
玄関を入ると ふっと私の鼻をアロマの匂いが漂い、ほのかな光に暖かな何とも言えないエネルギーを感じたことを覚えています。廊下を通りドアを開けると会長先生がおられ「よく来たなぁ」ニコニコと嬉しそうに仰いました。そのあと会長先生の40年間の歴史を聞くことになりました。
もともと不愉快な気分で本部を訪問した私には会長先生の話は自慢話にしか聞こえず早く帰りたいばかりでした。するとそれを会長先生は感じ取ったのか「どこか痛いところはないかい?」と仰いました。「良くしてあげるから、そこに横になりなさい」と仰いました。私はとりあえず横たわり腰を押してもらいました。「あたっ!痛いっ!」私は思わず声が出てしまいました。それが会長先生のツボ押しだったのです。
当時の私は、不愉快の上の痛い施術を受け半分怒って主人と本部を後にしたのです。
しかし、玄関先で「また来るといいよ。」と言う会長先生のニコニコと子供のような目が頭の隅に残っていました。
その時私がびわ灸をとらえていなければ今も看護師をしていたでしょう。自分自身看護師の仕事が好きで頑張ってきました。40歳を過ぎて正看をとり収入も人よりもらっていました。しかしこの出会いを機にびわ灸を知るようになり、その後会長の手技とびわの凄さに魅せられて一心に勉強するようになりました。
そして、私がびわ灸の勉強を始めて半年後、師範となり自宅で開業し、その後患者さんが増えたため店舗(健康の里)をあけました。店舗をあけてから10人以上の生徒さんが来られました。
びわ灸の指導師は難しいものではありません。誰でも覚えていけます。年齢や性別は関係ありません。
しかし、ただ一つ条件があります。
それは自分の健康のために努力ができ、家族や人のために施術ができる人です。
大塚温熱療法はほかにない施術を教えています。そしてそこには多くの感動があります。それが私が看護師をやめた理由です。興味のある方はいつでもお店に来てください。あなたを待っています。
明日は勉強会です。毎週土曜日は勉強のために生徒さんが朝9時に来られます。まず皆で店舗の掃除をし、そして9時半からミーティング。(今日は何の勉強をしようか?)
円卓にコーヒーを並べて、生徒さん個々の復習と技術の確認、そして今日のスケジュールを立てます。
10時から勉強会が始まります。
いつも本部(福岡県杷木)の勉強会を思い出します。
6年前の事です。
本部で会長先生にお会いしたときのことを今も覚えています。
私にびわ灸を教えてくれたのは元の主人で「とにかく話を聞いてほしい」と、半ば無理やり連れて行かれたようなものでよく仕事を変える主人だったので「今度は何?」という半分不愉快な気分での出会いでした。
まさかその出会いによって私の人生が大きく変わっていくとは思いもつかない日でした。
玄関を入ると ふっと私の鼻をアロマの匂いが漂い、ほのかな光に暖かな何とも言えないエネルギーを感じたことを覚えています。廊下を通りドアを開けると会長先生がおられ「よく来たなぁ」ニコニコと嬉しそうに仰いました。そのあと会長先生の40年間の歴史を聞くことになりました。
もともと不愉快な気分で本部を訪問した私には会長先生の話は自慢話にしか聞こえず早く帰りたいばかりでした。するとそれを会長先生は感じ取ったのか「どこか痛いところはないかい?」と仰いました。「良くしてあげるから、そこに横になりなさい」と仰いました。私はとりあえず横たわり腰を押してもらいました。「あたっ!痛いっ!」私は思わず声が出てしまいました。それが会長先生のツボ押しだったのです。
当時の私は、不愉快の上の痛い施術を受け半分怒って主人と本部を後にしたのです。
しかし、玄関先で「また来るといいよ。」と言う会長先生のニコニコと子供のような目が頭の隅に残っていました。
その時私がびわ灸をとらえていなければ今も看護師をしていたでしょう。自分自身看護師の仕事が好きで頑張ってきました。40歳を過ぎて正看をとり収入も人よりもらっていました。しかしこの出会いを機にびわ灸を知るようになり、その後会長の手技とびわの凄さに魅せられて一心に勉強するようになりました。
そして、私がびわ灸の勉強を始めて半年後、師範となり自宅で開業し、その後患者さんが増えたため店舗(健康の里)をあけました。店舗をあけてから10人以上の生徒さんが来られました。
びわ灸の指導師は難しいものではありません。誰でも覚えていけます。年齢や性別は関係ありません。
しかし、ただ一つ条件があります。
それは自分の健康のために努力ができ、家族や人のために施術ができる人です。
大塚温熱療法はほかにない施術を教えています。そしてそこには多くの感動があります。それが私が看護師をやめた理由です。興味のある方はいつでもお店に来てください。あなたを待っています。
2016年02月11日
西洋医学ではありえない⑥ ~乳がん②~

●左の写真はびわ灸を始めて40日後の1回目(H21.11.21)のサーモグラフィの結果です。来院した時は右胸の傷はボコボコの状態で皮膚は腐った状態になって出血し、痛みや熱を感じることはありませんでした。そして40日後には、びわ灸の熱によって熱さが感じられるようになり、傷が少しずつ小さくなっていきました。びわのエキスによって血液が出ることが少なくなり膿も減ってきました。
●右の写真はびわ灸を始めて50日後の2回目(H21.12.1)のサーモグラフィの結果です。写真で見てわかるとおり右胸の赤い部分が少し小さくなっています。

●上の写真はびわ灸を初めて90日後の3回目(H.1.12)のサーモグラフィの結果です。
リンパの転移はなくその後癌の腫瘍は小さくなり傷もきれいになっていきました。
その後出血も膿も見当たらず、かれてきています。
その後5ケ月目には最初の傷より傷口が小さくなり、あと少しで風呂の中に浸かれると喜んでいました。
そして10ケ月後には、ガーゼもいらなくなりずいぶん楽になったようでした。
医者からは手術は無理だと言われていた10ヶ月前とは違い、その頃には手術をしましょうと言われていましたが本人はこれからもびわ療法でやっていきたいと仰っていました。
医者から手の施しようがない、手術もできないと言われ途方にくれていた彼女ですが、その後社会復帰できるまでに回復しました。
彼女の意向により施術の経過(患部の写真)をホームページ上に提示できませんが、詳しく知りたい方は当院へご来院ください。
▼びわ温熱の始めて2ヶ月後の彼女(Sさん)からのメッセージ (以下本文のまま)
私が自然療法に目覚めた結果となったのが子供のアトピーだったことからでした。自然療法という自然の摂理をもっとも大事にし、不自然でなく良い形で人の身体に入ってくる、安全で安心できる療法だという事は、私自身の心に腑に落ちた思いでした。
子供も今ではあんなにひどかったアトピーも良くなり心身ともに健康な成人に成長してくれています。これからは夫婦二人で第二の人生をと、思っていた矢先のことです。今度は私自身が乳がんという病魔に侵されてしまいました。青天の霹靂でしょうか。正直、何故私が?と思ってしまいます。どうして良いか途方に暮れていたとき友人からびわ温熱療法が癌に良いと聞き、その施術院が杷木にあることを知りました。友人と連れだって思い切って訪ねたところ快く受け入れていただきました。
リンパまで転移しており病院では手術できないと言われたことから私にとって神にもすがりたい思いでした。現在本部の会長先生、美穂先生の指導の下でカズ君やヤス君、日野さんから毎日朝10時から17時まで弁当持参で通いびわ温熱を入れてもらっています。
胸は影もなく大きく陥没し、腐って膿と血液でどうにもならなかったものが二ケ月たった今、もとの形に戻り傷も落ち着き、今のところ病院で検査した結果、転移は見られないとの診断です。
ありえないことです。でもそれが現実になっている。傷もさるものながら私にとってびわ温熱療法は精神のケアを良くしていただけていることです。施術院に来ている間は、楽しく一日が過ごせています。初めは、義理の母や主人も半信半疑でしたが、今では本当に会長先生、美穂先生、カズ君、ヤス君、日野さんのおかげだと心から感謝いたしております。
一般サラリーマンの家庭で一回5千円の施術料金は現実問題無理なことです。でも会長先生の少しでも会員の皆様の負担を軽くし良い結果をだしてあげたいとの思いで、会員になることで施術料金が安くしていただけることに今のこのご時世でこんなこんなことがあるのかとびっくりしております。そして本当に素晴らしいことだと思っております。たくさんの感謝を申し上げるしだいです。
少しでも多くの方にびわ温熱療法を知ってもらい、病気になってから始めるのではなく、健康な今のうちから自分と家族の健康は私自身で守るという考えになっていただきたい、と切に願います。
びわ温熱療法は、今の私にとって一生、手放すことのできないものとなりました。そして、健康であることの幸せを身をもって知ることができました。出会いに感謝いたします。
2016年02月11日
西洋医学ではありえない⑥ ~乳がん~
私が本部で勉強を始めた頃、いつものお客様が入ってこられました。
彼女はいつものように施術室の隅のスタンドの奥に入ると横たわりました。まだ本部に来て間もない私は彼女に何も聞けず ただ奥でされている施術は、他の人とは違いあまり覗いてみるような施術ではないことをなんとなく空気で感じていました。
彼女は50代の女性で乳がんの方でした。
右の乳がんは末期で外向きの癌のため匂いがきつかったのを覚えています。私は看護師をしていたため患者さんに許可を頂き、右の乳部を見せていただきました。彼女は病院に行くと、手術も出来ない状況で、抗ガン治療もせず会長を訪ねて来られたようでした。
右乳は既に膿をもっており 皮膚が溶けたような状態でした。しかし、会長に聞くと 最初来られ時は
まだかなりひどい状況だったそうです。リンパの転移もあり、右の腕から指先までパンパンに腫れていました。しかし長袖の服を着ていたため全く分からず 当時の彼女はびわ灸をしていたためか、とても顔色が良く病気を持っている人には見えませんでした。
スタンドの奥で声が聞こえてきました。「1、2、3、4、5・・・」何度も繰り返しお灸を当てています。お灸を当てている彼は、実は軽度の知的障害を持っているKくんでした。ただただ一心に会長に教わったように 右の胸のガーゼの上からお灸を当てていました。朝の10時から夕方の5時まで 途中休みながら何時間もお灸を当て続けます。彼は無駄話も一切せずお灸を当てづづけました。そして、その甲斐あってか右胸の癌は外側からお灸の熱によって、また、びわのエキスによって少しずつ小さくなっていきました。
会長は今の状況を知るために 病院へ行って検査を受けるように彼女に伝えてきました。最初の検査から3ヶ月後病院へ行くと サーモグラフィでの右胸の癌は確実に減っており、転移はほかにないとのことでした。
当時の私は何故そうなったのか?不思議でなりませんでした。
しかしその後何人もの癌の患者さんに当たり その理由がこのびわの力と温熱にあることを、また人間の身体の中にあることを学ばさせていただくことになりました。
彼女はいつものように施術室の隅のスタンドの奥に入ると横たわりました。まだ本部に来て間もない私は彼女に何も聞けず ただ奥でされている施術は、他の人とは違いあまり覗いてみるような施術ではないことをなんとなく空気で感じていました。
彼女は50代の女性で乳がんの方でした。
右の乳がんは末期で外向きの癌のため匂いがきつかったのを覚えています。私は看護師をしていたため患者さんに許可を頂き、右の乳部を見せていただきました。彼女は病院に行くと、手術も出来ない状況で、抗ガン治療もせず会長を訪ねて来られたようでした。
右乳は既に膿をもっており 皮膚が溶けたような状態でした。しかし、会長に聞くと 最初来られ時は
まだかなりひどい状況だったそうです。リンパの転移もあり、右の腕から指先までパンパンに腫れていました。しかし長袖の服を着ていたため全く分からず 当時の彼女はびわ灸をしていたためか、とても顔色が良く病気を持っている人には見えませんでした。
スタンドの奥で声が聞こえてきました。「1、2、3、4、5・・・」何度も繰り返しお灸を当てています。お灸を当てている彼は、実は軽度の知的障害を持っているKくんでした。ただただ一心に会長に教わったように 右の胸のガーゼの上からお灸を当てていました。朝の10時から夕方の5時まで 途中休みながら何時間もお灸を当て続けます。彼は無駄話も一切せずお灸を当てづづけました。そして、その甲斐あってか右胸の癌は外側からお灸の熱によって、また、びわのエキスによって少しずつ小さくなっていきました。
会長は今の状況を知るために 病院へ行って検査を受けるように彼女に伝えてきました。最初の検査から3ヶ月後病院へ行くと サーモグラフィでの右胸の癌は確実に減っており、転移はほかにないとのことでした。
当時の私は何故そうなったのか?不思議でなりませんでした。
しかしその後何人もの癌の患者さんに当たり その理由がこのびわの力と温熱にあることを、また人間の身体の中にあることを学ばさせていただくことになりました。
Posted by びわまる at
17:10
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2016年02月11日
西洋医学ではありえない⑤ ~自分の足で~
私が本部に勉強に来た頃、急性リンパ性白血病の20代の男の子がお店に来られました。
彼は障害を持っており、パン屋さんで仕事をしてきました。大きな大学病院に通っていたのですが、身体のバランスがうまく取れず一人で歩くことができません。原因がはっきりしないとのことで一向に良くならないと父親は会長に訴えていました。彼の体は不安定で足から足元にかけて小刻みに震えており 父親と父親の友人が両脇を支えてやっとの思いで椅子に座らせた状況でした。彼は笑顔さえ見せず能面のような顔をしていました。
私はなぜ彼がこのように全身が震えているのかとても不思議でした。白血病とはとても繋がらなかったのです。
ただ会長は何も聞かず彼が少しでも楽になるようにお灸を当てるように私に指示しました。
私は彼の頭の百会から熱をいれていきました。ところが、彼は頭のツボに熱が入りませんでした。会長は「熱が入るまで繰り返し当てなさい」と仰いました。
私の二人の息子も同じ位の歳で、私は当てながら早く熱が入ってと祈りながらお灸を繰り返しました。すると2時間ほど経って彼は気持ちが良いのか「あーっ、あーっ」と小さな声で熱いのを訴えてきました。
そしてまた彼の冷えた固いお腹にお灸を当てていきました。彼は色白で顔に赤みのない状況でした。外見を見ても血液の循環が悪いのは見て明らかでした。そして膝、股関節と熱を入れていきます。会長はその後究極のツボ押しをします。「もう少しがんばるぞ。」というと少し大きな声で「はーい。ごめん」と究極のツボを押していきます。「よっしゃ、良く頑張った」と。彼はエビ反りにして痛がりましたが、その後足が軽くなったのか顔から少し笑顔が見られるようになりました。
私は本当に彼が楽になったんだなと安心しました。
会長の究極のツボ取りは痛みを伴いますが、嘘のような痛みの解放感があり身体を楽にしていきます。
それは体験してみないとわかりません。
そして6ケ月ほど過ぎた頃、彼は支えなく自分で歩けるようになりました。震える身体もずいぶん治まってきました。そしてうれしいことに会社の沖縄の社員旅行は、車椅子ではなく自分の足で行くことができました。
今も彼は元気に働いておいしいパンを焼き続けていることでしょう。
右の写真は
彼の父親は息子を治すためにびわ灸の勉強を始め当てている様子です.
彼は障害を持っており、パン屋さんで仕事をしてきました。大きな大学病院に通っていたのですが、身体のバランスがうまく取れず一人で歩くことができません。原因がはっきりしないとのことで一向に良くならないと父親は会長に訴えていました。彼の体は不安定で足から足元にかけて小刻みに震えており 父親と父親の友人が両脇を支えてやっとの思いで椅子に座らせた状況でした。彼は笑顔さえ見せず能面のような顔をしていました。
私はなぜ彼がこのように全身が震えているのかとても不思議でした。白血病とはとても繋がらなかったのです。
ただ会長は何も聞かず彼が少しでも楽になるようにお灸を当てるように私に指示しました。
私は彼の頭の百会から熱をいれていきました。ところが、彼は頭のツボに熱が入りませんでした。会長は「熱が入るまで繰り返し当てなさい」と仰いました。
私の二人の息子も同じ位の歳で、私は当てながら早く熱が入ってと祈りながらお灸を繰り返しました。すると2時間ほど経って彼は気持ちが良いのか「あーっ、あーっ」と小さな声で熱いのを訴えてきました。
そしてまた彼の冷えた固いお腹にお灸を当てていきました。彼は色白で顔に赤みのない状況でした。外見を見ても血液の循環が悪いのは見て明らかでした。そして膝、股関節と熱を入れていきます。会長はその後究極のツボ押しをします。「もう少しがんばるぞ。」というと少し大きな声で「はーい。ごめん」と究極のツボを押していきます。「よっしゃ、良く頑張った」と。彼はエビ反りにして痛がりましたが、その後足が軽くなったのか顔から少し笑顔が見られるようになりました。
私は本当に彼が楽になったんだなと安心しました。
会長の究極のツボ取りは痛みを伴いますが、嘘のような痛みの解放感があり身体を楽にしていきます。
それは体験してみないとわかりません。
そして6ケ月ほど過ぎた頃、彼は支えなく自分で歩けるようになりました。震える身体もずいぶん治まってきました。そしてうれしいことに会社の沖縄の社員旅行は、車椅子ではなく自分の足で行くことができました。
今も彼は元気に働いておいしいパンを焼き続けていることでしょう。
右の写真は
彼の父親は息子を治すためにびわ灸の勉強を始め当てている様子です.

2016年02月06日
西洋医学ではありえない④ ~家族の健康を守るために~
私が母の姿をみてびわ灸をもっと知りたいと本部に通い始めた同じ頃に、福岡から2時半かけて家族と共に本部に来られている患者さんがいました。
彼(50代)の病気は脳内出血の後遺症で、左手首は内側に曲がり、左足は足首より内側に曲がっていました。右足でやっと立ち引きずるようにして歩いていました。また、言葉がうまく出ないため会長の究極のツボとりうぅーうぅーっと唸るだけで、痛いといえない彼をとても不憫に思いました。まだ会長の施術が良くわからない私は、目の前で施術を受けている彼の家族のことを思うと、切ない想いに駆られました。
しかし私はびっくりしました。彼の妻は彼の受けている施術を自分も習いたいと言うのです。その後私が来るたびに奥さんはご主人をモデルに勉強をしていました。
●当時の奥さんの心境を紹介します。(以下本文のまま)
「私と”健笑友の輪”さんとの出逢いは、知人との何気ない会話から始まりました。
元々 自分がこり性だった事と”ビワのお灸は良い”というのは知っていましたので、私は即「一度連れて行ってほしい」とお願いしました。
平成21年12月1日に始めておじゃまさせて頂いた時に、何となく主人の事を先生にお話致しました。 実は主人は、平成20年6月に脳出血で倒れ2回の手術を受け高次脳機能障害と診断されました。
半年のリハビリ入院を経て現在に至っていますが、失語症と軽い左半身麻痺の後遺症が残ってしまいました。
はっきり言って最初軽い気持ちでおじゃました事もあり、びわきゅうと主人の病気を結び付けて考えた事はありませんでしたが、 その時先生が「ご主人は必ずしゃべれる様になるよ。
近いうちに連れていらっしゃい」とおっしゃってくださいました。
その時私は正直「本当かなー?」と思いましたが、沢山の方を診て来られた先生の自信に満ちた言葉に、「先生を信じて頑張ってみよう」という気になりました。
数日後、主人と主人の母を連れて、おじゃま致しました。
主人の母も7年前に脳梗塞を起こし右半身が少々不自由だったので、一緒に治療を受けてもらいました。
2人共とても痛がり、私も横で見て、「これじゃ”もう行かん!!”というかもしれないなー、それじゃ困るしー」等と考えて、なかなか「どうだった?」と聞けない私がいましたが、私の取り越し苦労でした。
2人共「次、いつ行く?」とサラリと言うのです。
私は「ホッ」としました。
治療時、あんなに痛がっていたのに終わった後が体も軽くスッキリする様です。
今は回を重ねるたびに、言葉も出やすくなった様に思います。
正直、福岡からの往復5時間はしんどいものがありますが、それ以上に結果を頂いています。それは本人が一番感じている事と思います。
一日でも早い社会復帰を目指し今後も、頑張って通い続けます。 どうぞよろしくお願い致します。」
その後家族3人で往復5時間かけて本部へ通ってきました。約1か月、4~5回の施術が過ぎると言葉が出るようになってきました。11時に本部に来られて、午前中2時間、午後から3時間、頭から下顎、耳下、喉にかけて彼の奥さんが4-5時間お灸を当てていきました。帰りの帰宅時間もあるため4時過ぎには本部を後にしました。
帰ってからも1~2時間お灸を当て続け、日中はリハビリのための運動もしていました。
そして2ヶ月目握れなかった左手が鴨居を持てるようになりました。
私が本部で彼にあった時は彼は道端で道案内をしており、最初は人間違いではないかと目を疑いました。
3ヶ月目を過ぎたころ、彼はかもいを持って右足、左足と膝を上げ運動ができるようになっていました。
彼の願い通り再び車の運転もできるようになりました。会長を信じ、うまく身体が動かなかった彼を支え続けた家族もまた良く頑張ったと思います。
←左の写真は、自宅でリハビリをしている様子です。
本部に最初来られた時は、左足の麻痺により片足で立つことさえできませんでした。
かもいも持たず麻痺した側の足で身体を支えています。
西洋医学では 長い期間のリハビリにより少しづつ経過を見ていきます。このように短期間で結果を出す。大塚会長は本当にすごいと思いました。そしてそこにびわ灸の力があり、びわ灸に出会えたことに感謝するばかりです。
今日脳卒中の方が増えています。毎日思うように動かない身体で苦しんでいる方はたくさんいます。
是非声をかけてあげてください。そしてまた、大塚会長の魔法のような技術を学びにきませんか?
次回は、「白血病治療による後遺症に悩む20代男性をご紹介します。」
当院 健康の里は生徒を募集しています。 いつでもご連絡ください。
平日10:00~17:00(祝日・水曜日定休)
彼(50代)の病気は脳内出血の後遺症で、左手首は内側に曲がり、左足は足首より内側に曲がっていました。右足でやっと立ち引きずるようにして歩いていました。また、言葉がうまく出ないため会長の究極のツボとりうぅーうぅーっと唸るだけで、痛いといえない彼をとても不憫に思いました。まだ会長の施術が良くわからない私は、目の前で施術を受けている彼の家族のことを思うと、切ない想いに駆られました。
しかし私はびっくりしました。彼の妻は彼の受けている施術を自分も習いたいと言うのです。その後私が来るたびに奥さんはご主人をモデルに勉強をしていました。
●当時の奥さんの心境を紹介します。(以下本文のまま)
「私と”健笑友の輪”さんとの出逢いは、知人との何気ない会話から始まりました。
元々 自分がこり性だった事と”ビワのお灸は良い”というのは知っていましたので、私は即「一度連れて行ってほしい」とお願いしました。
平成21年12月1日に始めておじゃまさせて頂いた時に、何となく主人の事を先生にお話致しました。 実は主人は、平成20年6月に脳出血で倒れ2回の手術を受け高次脳機能障害と診断されました。
半年のリハビリ入院を経て現在に至っていますが、失語症と軽い左半身麻痺の後遺症が残ってしまいました。
はっきり言って最初軽い気持ちでおじゃました事もあり、びわきゅうと主人の病気を結び付けて考えた事はありませんでしたが、 その時先生が「ご主人は必ずしゃべれる様になるよ。
近いうちに連れていらっしゃい」とおっしゃってくださいました。
その時私は正直「本当かなー?」と思いましたが、沢山の方を診て来られた先生の自信に満ちた言葉に、「先生を信じて頑張ってみよう」という気になりました。
数日後、主人と主人の母を連れて、おじゃま致しました。
主人の母も7年前に脳梗塞を起こし右半身が少々不自由だったので、一緒に治療を受けてもらいました。
2人共とても痛がり、私も横で見て、「これじゃ”もう行かん!!”というかもしれないなー、それじゃ困るしー」等と考えて、なかなか「どうだった?」と聞けない私がいましたが、私の取り越し苦労でした。
2人共「次、いつ行く?」とサラリと言うのです。
私は「ホッ」としました。
治療時、あんなに痛がっていたのに終わった後が体も軽くスッキリする様です。
今は回を重ねるたびに、言葉も出やすくなった様に思います。
正直、福岡からの往復5時間はしんどいものがありますが、それ以上に結果を頂いています。それは本人が一番感じている事と思います。
一日でも早い社会復帰を目指し今後も、頑張って通い続けます。 どうぞよろしくお願い致します。」
その後家族3人で往復5時間かけて本部へ通ってきました。約1か月、4~5回の施術が過ぎると言葉が出るようになってきました。11時に本部に来られて、午前中2時間、午後から3時間、頭から下顎、耳下、喉にかけて彼の奥さんが4-5時間お灸を当てていきました。帰りの帰宅時間もあるため4時過ぎには本部を後にしました。
帰ってからも1~2時間お灸を当て続け、日中はリハビリのための運動もしていました。
そして2ヶ月目握れなかった左手が鴨居を持てるようになりました。
私が本部で彼にあった時は彼は道端で道案内をしており、最初は人間違いではないかと目を疑いました。
3ヶ月目を過ぎたころ、彼はかもいを持って右足、左足と膝を上げ運動ができるようになっていました。
彼の願い通り再び車の運転もできるようになりました。会長を信じ、うまく身体が動かなかった彼を支え続けた家族もまた良く頑張ったと思います。

本部に最初来られた時は、左足の麻痺により片足で立つことさえできませんでした。
かもいも持たず麻痺した側の足で身体を支えています。
西洋医学では 長い期間のリハビリにより少しづつ経過を見ていきます。このように短期間で結果を出す。大塚会長は本当にすごいと思いました。そしてそこにびわ灸の力があり、びわ灸に出会えたことに感謝するばかりです。
今日脳卒中の方が増えています。毎日思うように動かない身体で苦しんでいる方はたくさんいます。
是非声をかけてあげてください。そしてまた、大塚会長の魔法のような技術を学びにきませんか?
次回は、「白血病治療による後遺症に悩む20代男性をご紹介します。」
当院 健康の里は生徒を募集しています。 いつでもご連絡ください。
平日10:00~17:00(祝日・水曜日定休)
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23:04
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2016年02月03日
ハワイ大学の学長が来院
去年の三月のことでした。当院健康の里にハワイ大学の学長が来院されました。
学長は世界に学校を開設しグローバルな展開と実績の中で 2014年11月に東京で「代替医療と環境科学」の国際会議を成功させてきました。そして、国連の構成機関であるWHF(=World Human Facility)の駐米大使に任命されました。
WHFはベルギーに本部を置き、EUと密接にパートナーとして機能し、文化、教育、親善事業、人権擁護の分野における人類の進歩を目指し活動を展開しています。そしてこの度大塚会長の活動が人類の健康、福祉への潮流のひとつであり顕彰に値することをWHF本部並びにEUに紹介したいとのことでした。
また、学長は福岡の博多でびわ温熱療法受けており、実体験の中で温熱療法の良さを知ったとのことでした。そこで大塚会長の名前を探し当て 東洋医学のスペシャリストの大塚会長に、できれば激務で疲れている国境なき医師団には自然療法である温熱療法をして健康管理して欲しいと仰っていました。
健康にも国境はありません。国内国外は関係ありません。びわ温熱療法はどんな方でもできます。
どんな状況でもできます。体験したい方、覚えたい方がいればいつでもご相談ください。
私たちと共に国内および海外に普及活動を一緒にしていただける方募集しています。
学長は世界に学校を開設しグローバルな展開と実績の中で 2014年11月に東京で「代替医療と環境科学」の国際会議を成功させてきました。そして、国連の構成機関であるWHF(=World Human Facility)の駐米大使に任命されました。
WHFはベルギーに本部を置き、EUと密接にパートナーとして機能し、文化、教育、親善事業、人権擁護の分野における人類の進歩を目指し活動を展開しています。そしてこの度大塚会長の活動が人類の健康、福祉への潮流のひとつであり顕彰に値することをWHF本部並びにEUに紹介したいとのことでした。
また、学長は福岡の博多でびわ温熱療法受けており、実体験の中で温熱療法の良さを知ったとのことでした。そこで大塚会長の名前を探し当て 東洋医学のスペシャリストの大塚会長に、できれば激務で疲れている国境なき医師団には自然療法である温熱療法をして健康管理して欲しいと仰っていました。
健康にも国境はありません。国内国外は関係ありません。びわ温熱療法はどんな方でもできます。
どんな状況でもできます。体験したい方、覚えたい方がいればいつでもご相談ください。
私たちと共に国内および海外に普及活動を一緒にしていただける方募集しています。
Posted by びわまる at
23:01
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2016年02月03日
西洋医学ではありえない③ ~何をしたいか~
母のありえない姿を目の当たりにして私はびわ灸をもっと知りたい、会長先生の技術をもっと習いたいとの思いで空いている時間を利用して本部へ通いました。30年以上西洋医学に携わってきた私にとって薬も使わず注射もせず患者さんを楽にしてあげる会長の魔法のような手技に惹かれ、一心に勉強を始めました。
私は看護師をしていたため勤務は交代制で休みを利用し、夜中の12時に準夜勤務を終えて車を飛ばし福岡の杷木にある本宅へ向かいました。車で行く途中、会長先生は何度も電話を入れて心配してくださいました。夜中の3-4時頃に本宅に着き一泊させてもらいました。
朝方8時頃起きて食事を頂き本宅の掃除をさせてもらいました。9時頃に大分の車椅子の患者さんが治療のために毎週本宅に集まりました。大分からくる患者さんは会員になってもらい当時会長先生は無料で施術を行い患者さんから色んなアドバイスをもらいました。
会長先生が頚椎損傷の車椅子の患者さん(G藤さん)を指して私に「彼女は君にとっての宝物だよ」と仰いました。
当時の私はその意味が解らなかったけれどもただ頷いていました。(このG藤さんについてのスゴイ体験はのちに説明します。)
最初は生徒同士で・・・そしてその後患者さんを触らせてもらいました。当時患者さんから「痛い痛い」と言われると、つい温灸器が外れて自信のなさが患者さんに伝わったようでした。その自身のなさを早く払しょくする為にもっと勉強する時間が欲しくて、会長先生にお願いをして夜間遅くまで勉強させてもらいました。
また、生徒さんの人数も多かったため自分の中でもっと聞きたいもっと知りたいという気持ちが膨らんできました。そしてもう一泊をして翌日の準夜に間に合うように大分に帰ることもありました。
今思えば無茶なスケジュールの中で勉強していましたが会長先生もそれに付き合ってくださりとても楽しい勉強ができました。
どんな環境でも、どんな状況でも、どんな理由でも努力すれば叶うという事を教えられた勉強でした。
そうすることで自分の中でも自信がついてきました。それが今の私です。
人はそれぞれやる理由があります。何ができるかではなく、何をしたいかです。
・今の仕事に満足していますか?
・自分、家族、大切な人は健康ですか?
・自分のキャリアを活かせていますか?
今健康の里ではスキルアップをしたい方を募集しています。
経験者、未経験者どんな方でも構いません。患者さんから生徒さんになられた方もいます。
是非ご相談ください。 ℡ 097-574-4109
平日 10:00~17:00 (祝日・水曜日定休)
私は看護師をしていたため勤務は交代制で休みを利用し、夜中の12時に準夜勤務を終えて車を飛ばし福岡の杷木にある本宅へ向かいました。車で行く途中、会長先生は何度も電話を入れて心配してくださいました。夜中の3-4時頃に本宅に着き一泊させてもらいました。
朝方8時頃起きて食事を頂き本宅の掃除をさせてもらいました。9時頃に大分の車椅子の患者さんが治療のために毎週本宅に集まりました。大分からくる患者さんは会員になってもらい当時会長先生は無料で施術を行い患者さんから色んなアドバイスをもらいました。
会長先生が頚椎損傷の車椅子の患者さん(G藤さん)を指して私に「彼女は君にとっての宝物だよ」と仰いました。
当時の私はその意味が解らなかったけれどもただ頷いていました。(このG藤さんについてのスゴイ体験はのちに説明します。)
最初は生徒同士で・・・そしてその後患者さんを触らせてもらいました。当時患者さんから「痛い痛い」と言われると、つい温灸器が外れて自信のなさが患者さんに伝わったようでした。その自身のなさを早く払しょくする為にもっと勉強する時間が欲しくて、会長先生にお願いをして夜間遅くまで勉強させてもらいました。
また、生徒さんの人数も多かったため自分の中でもっと聞きたいもっと知りたいという気持ちが膨らんできました。そしてもう一泊をして翌日の準夜に間に合うように大分に帰ることもありました。
今思えば無茶なスケジュールの中で勉強していましたが会長先生もそれに付き合ってくださりとても楽しい勉強ができました。
どんな環境でも、どんな状況でも、どんな理由でも努力すれば叶うという事を教えられた勉強でした。
そうすることで自分の中でも自信がついてきました。それが今の私です。
人はそれぞれやる理由があります。何ができるかではなく、何をしたいかです。
・今の仕事に満足していますか?
・自分、家族、大切な人は健康ですか?
・自分のキャリアを活かせていますか?
今健康の里ではスキルアップをしたい方を募集しています。
経験者、未経験者どんな方でも構いません。患者さんから生徒さんになられた方もいます。
是非ご相談ください。 ℡ 097-574-4109
平日 10:00~17:00 (祝日・水曜日定休)
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15:59
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2016年02月03日
西洋医学ではありえない② ~母の姿~
母は高校生の時にリュウマチが発症し、38歳の時配偶者である私の父を事故で亡くしました。
それから女で一つで兄弟3人を育てていくために、足を引きずりながらも仕事に向かう母の姿を今でも覚えています。
無理をした結果からか、両膝の膝関節症で骨がボロボロになり、両膝に人工関節を入れいます。また、大腿骨の骨も悪くなり人工骨頭も入れています。足が弱いため、転倒をするたびに骨折を起こし、その他2か所の骨折により手術をしました。車椅子よりリハビリを繰り返し、やっと、杖をつけば少しだけ歩けるような状態でした。
当時76歳の母の足は腫れ、冷たく、爪先がいつも紫色になっていて踏みしめる度に痛みが走るようで、びわ灸をすれば少しでもその痛みが楽になっていくのではないかと、少しもの期待とまた不安の中で大分の市民会館の体験会に母を連れて行きました。
母の左の肩を抱え、一歩一歩踏みしめ進む母の足並みに揃え一歩ずつ会場に上がっていきました。杖をつくリュウマチの右手は痛そうでたまらない様子でした。両手両足の痛みはきっと私の想像のつかないほどのものだということは、母の苦痛表情を見れば明らかでした。やっとの思いで会場に着くと、会長はとても嬉しそうに「よくいらっしゃいました。早く連れてくるように言っといたんだよ。」と仰いました。
会長は母の歩く姿を見て、「杖が外れたらいいね。」と仰いました。私は半分心の中で――リュウマチなんだけど・・・。と思いました。私はとにかく母にお灸を当てさせてもらい会長の指示通りに熱を入れていきました。寝返りを打つ時も、痛みを感じながら体勢を変えていく母をみると不憫でなりませんでした。
私の脳裏に、私は看護師なのに母の介護が全くできていない、仕事に任せて痛みのある母をずっと放っておいた結果なんだと申し訳ないという思いにかられていました。
そんな思いをかき消すように、痛むところにお灸を当てると母は「気持ちがいい、気持ちがいい。」と嬉しそうに言いました。
その言葉に私は少し心が救われるようでした。そして会長のいう 杖が取れたらいいね。という言葉に微かな期待を持ってお灸を当て続けました。会長は「見せてごらん。」というと腰辺りの究極のツボをとっていきました。
リュウマチの母にとって、痛みはいつもある上 会長のツボ押しは更に痛みを伴うため辛かった様でした。そしてみんなで母を椅子に座らせました。しかし数分経つと「はい、立ってごらん。」と会長が仰ると、母はゆっくり立ち上がり少しずつ右足、左足と自分の足を進めていきました。その瞬間私の目に涙が溢れてきました。杖をつかない母を見るのは本当に久しぶりのことでした。
「真由美ちゃん、大丈夫やわぁ」そこには涙ぐむ母がいました。
半信半疑で来た体験会でしたが、諦めていたリュウマチという母の病気を通して 今まで学んできた西洋医学とはまた違った方法で医療と向き合うことができることを、改めて会長から学んだ一日でした。それは30年間の医療現場の中で学んだ 常識が覆された出来事 でした。
私はますます会長の技術の凄さに心が傾き、びわ灸をもっと知りたいと思うようになりました。
この体験会によって私の人生は大きく変わることになりました。
Posted by びわまる at
15:58
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2016年02月03日
西洋医学ではありえない① ~私とびわ灸~
私は、6年前にこの「びわ温熱療法」に巡り合い、そこからこの自然療法の深さと会長の技術のすごさに魅力を感じ、約6ヶ月で指導師から師範になり開業しました。今までの30年以上かけて学んだ西洋医学とは違う予防医学を学び、その面白さは興味深いものでした。
そして、他にない会長の技術は海の中に落とされた一粒の真珠を拾うようなものでした。
初めて会長にお会いした時は西洋医学ではありえないことを次々と話され、私自身信じることができず怒って帰ったものでした。
しかし、帰り際に笑顔で「悪い人ほど連れておいで」と子供のような目で私に仰いました。
その目がずっと頭の中に残っていました。友人にその話をすると、友人の母親が腰痛で歩けないとのことで、一週間後また本部に行くことになりました。本部に行く途中のトイレ休憩で、歩けない友人の母親を両脇で抱えてトイレへ連れていきました。本部に着くと会長は友人の母親の姿勢を見て「一時間施術で楽に歩けるようになるよ」と仰いました。私は、もし歩けなかったらどうしようと不安でいっぱいでした。
ところが、一時間後 後ろを振り向くと本部のスタッフと踊っている彼女がいました。
私は言葉にもならず、ただキョトンと見ているだけでした。
何故?どういう理由でそうなったのか理解できませんでした。
そのことを他の友人に話したところ「僕の母は頸椎損傷で7年間寝たきりなんだ。」とその症状を話してくれました。
そんな時 ・・・――「悪い人ほど連れておいで」――・・・という会長の言葉を思い出しました。私は半信半疑の状態で再び会長に会うことになりました。寝返りも打てない彼の母親を車椅子から降ろして布団に寝かせました。会長は知覚を診て、左半身の神経がないのを確認しました。
そして、びわ温灸を当てるようにスタッフに指示をしました。最初は熱感もなくいくら当てても熱は入らずスタッフは何度も繰り返し繰り返し当て続けました。
すると2時間半後、彼女は「熱い、、、熱い、、、」と小さな声でいいました。
私は耳を疑いました。
私の30年間以上の西洋医学の経験の中では 絶対ありえない状況 を目の前にしたからです。
そして会長は、足に 究極のツボ押し を行い「左足を動かしてごらん」というと左足が微かに動き、彼女は全身の力を振り絞って、寝返りを打ちました。
それを見てご主人は「こんなことはありえない」とびっくりしていました。
更に会長は「3ヶ月後には松葉杖で歩けるようになるよ」とさらっといいました。
もしかしたらという思いがよぎり母の姿が思い浮かんだ。
そして、他にない会長の技術は海の中に落とされた一粒の真珠を拾うようなものでした。
初めて会長にお会いした時は西洋医学ではありえないことを次々と話され、私自身信じることができず怒って帰ったものでした。
しかし、帰り際に笑顔で「悪い人ほど連れておいで」と子供のような目で私に仰いました。
その目がずっと頭の中に残っていました。友人にその話をすると、友人の母親が腰痛で歩けないとのことで、一週間後また本部に行くことになりました。本部に行く途中のトイレ休憩で、歩けない友人の母親を両脇で抱えてトイレへ連れていきました。本部に着くと会長は友人の母親の姿勢を見て「一時間施術で楽に歩けるようになるよ」と仰いました。私は、もし歩けなかったらどうしようと不安でいっぱいでした。
ところが、一時間後 後ろを振り向くと本部のスタッフと踊っている彼女がいました。
私は言葉にもならず、ただキョトンと見ているだけでした。
何故?どういう理由でそうなったのか理解できませんでした。
そのことを他の友人に話したところ「僕の母は頸椎損傷で7年間寝たきりなんだ。」とその症状を話してくれました。
そんな時 ・・・――「悪い人ほど連れておいで」――・・・という会長の言葉を思い出しました。私は半信半疑の状態で再び会長に会うことになりました。寝返りも打てない彼の母親を車椅子から降ろして布団に寝かせました。会長は知覚を診て、左半身の神経がないのを確認しました。
そして、びわ温灸を当てるようにスタッフに指示をしました。最初は熱感もなくいくら当てても熱は入らずスタッフは何度も繰り返し繰り返し当て続けました。
すると2時間半後、彼女は「熱い、、、熱い、、、」と小さな声でいいました。
私は耳を疑いました。
私の30年間以上の西洋医学の経験の中では 絶対ありえない状況 を目の前にしたからです。
そして会長は、足に 究極のツボ押し を行い「左足を動かしてごらん」というと左足が微かに動き、彼女は全身の力を振り絞って、寝返りを打ちました。
それを見てご主人は「こんなことはありえない」とびっくりしていました。
更に会長は「3ヶ月後には松葉杖で歩けるようになるよ」とさらっといいました。
もしかしたらという思いがよぎり母の姿が思い浮かんだ。
Posted by びわまる at
15:56
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